2011年11月23日水曜日

功山寺(こうざんじ)


【功山寺(こうざんじ)】
山号:金山(きんざん)
山口県下関市長府に位地するお寺で、仏殿は国宝に指定されている。
高杉晋作の回天義挙
高杉晋作 1839-1867 は長州班の武士で奇兵隊を創設し長州藩を倒幕に方向つけた人物
通称:晋作 号:東行である

高杉晋作は、8歳頃、萩市明倫館へ通いながら、私塾(寺子屋)吉田塾に通い始める。
流行病(天然痘)にかかった後遺症で”あばた”が顔面に残った。このことで悪ガキからつけられたニックネームは”あずき餅”である。
12,3歳で柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)の剣術を習い始める。
19歳のころ運命的な師匠:吉田松陰先生に出会うことになる。
晋作は昼間、明倫館へ通い、夜は松下村塾(しょうかそんじゅく)に通い自分を徹底的に磨き上げた。
1858年松蔭先生は晋作(20歳頃)に論文を書かせる。内容は、幕府とアメリカが修好通称条約を如何に結ぶか。
晋作が書いた論文は松蔭先生が赤ペンいれることなく井伊直弼に渡り実現される(1858年6月19日)。
高杉晋作が絡む舞台に【功山寺】があり、事件の名前が wikipediaでは功山寺挙兵と言う名目で記されている。
ある書物では、下記の事項が記されている。
幕府は3家老と4参謀の処刑および山口城の解体と五卿を長州藩以外へ移動することを命じる。影響を受けて五卿は山口から長府市功山寺に移動させられる。
一方、五卿の異動先は西郷隆盛や月形洗蔵らで九州に移動が方向付けられ晋作も認める。
1864年12月15日晋作は長府市功山寺の五卿を訪ね有志80名で挙兵する。
下関の役所を強襲、三田尻では3隻の軍艦を奪い下関に持ち帰った。

この書物では功山寺山門は1773年長府藩10代藩主毛利匡芳によって建てられたと記している。
功山寺 山門

功山寺山門

結論:紅葉には早すぎた
長文を読んで頂いてありがとうございました
帰路には、東行庵の風景を撮影しましたので掲示します。
東行庵記念館前

東行庵記念館前

東行庵 裏手 




6 件のコメント:

conntry walker さんのコメント...

国宝や幕末の歴史を秘めた功山寺、紅葉も綺麗ですね、一般的なそちらでの見頃は?
場所によって、今年の紅葉はあまり期待が持てないとも言われている所もあるようですが

あまなつ2010 さんのコメント...

山口県周辺の紅葉は昨日あたりから見頃のところがぼちぼち出始めたところです。昨年も11月半ばを過ぎてたと思います。でも一週間遅れてるかもしれない?

なんぎょうくぎょう さんのコメント...

こんにちは。
活動的ですね^^
「功山寺」素敵な場所ですね~。

あまなつ2010 さんのコメント...

なんぎょうくぎょう さん こんばんは
秋の行楽シーズンは歩いても、贅沢はできませんが近くをドライブする頻度も上がります。
冬場は冬眠するしかなくなります

ぶ~タン さんのコメント...

山口県は、いつか行ってみたい場所の1つです。
功山寺、素敵なところですね。
高杉晋作さんの詳細ありがとうございます。
幕末にこの人も欠かせない人物ですね。

あまなつ2010 さんのコメント...

ぶ~タンさん こんばんは
たらたらと長文記してすいません〜
山口に是非遊びに来てくださいね